ある意味すごい、裁判員制度
久しぶりじゃなぁ。
色々忙しかったり、トラブったりして全然更新できんかったわ。
約7ヵ月ぶりの更新になるんか・・・この間にも色々ネタはあったんじゃがなぁ。
まぁ、ええわい、復帰1発目は遂に始まった裁判員制度に関してちょこっと書いておこうかの。
まぁ、色んなとこで賛否両論騒がれとるんじゃが、わしの意見としては
「反対せざるを得ない」じゃな。
最近「アゴラ」で面白い記事見つけたんで、それを引用しながらわしの見解をペロペロ~っとしゃべってみようかの。
面白い記事というのは「算数のできない人が作った裁判員制度」(岡田 克敏)
すーっと読んでみた感想としてはユニークで面白い。
この岡田氏がどんな経歴の人なんか知らんけぇ、そこんとこのバイアスを差し引いて情報を取り出したわけじゃないが、それでも面白いのぅ、これw
頭から眺めていこうかの。
数学嫌いは法学部を選択する傾向があると言われます。文系では法学と経済学が実学の主流ですが、経済学にはある程度の数学が必要ですから、法学部には数学嫌いが集積している可能性があるというわけです。むろん法律家は数学に弱いなどと一般化するつもりはありませんが、裁判員制度を見る限り、これは数学嫌いの人たちが作ったのではないかという印象を強く受けます。
わしは経済学が学びとうて大学に行った経験があるんじゃが、そん時は1-4年の経済学の講義を2年で全部受けて(制度的に単位はとれん)、後は経済学以外の必須科目をとれば、院に推薦すると言われたが、学者になる気はなかったんとパソコンに興味がでてきとったんで中退して専門に行ったのぅ。
おっといかん、わしの昔話はどうでもええ話じゃな。まぁ、わしも数学はあんまり興味がもてんかったけぇ、文系に行ったのぅ。数学得意じゃない奴が文系に行くんはそうかもしれんな。だいたいの奴が消去法で文系選んどるじゃろうしな。
ただし、じゃからといって「数学嫌いは法学部を選択する傾向があると言われます。」とは言えんじゃろうな。法学部の先に待つものを考えれば、志をもって法学部にいく奴がほとんどじゃろう。消去法で法学部に行く奴は少なかろう。
なんて真面目な反論を言うつもりはまったくない。悪ノリしただけじゃ、すまんな岡田氏wタイトル見ればわかるようにこれは最初の線引きじゃろう。まぁ、岡田氏が裁判員制度が超嫌いというならアレかもしれんが、わしにはツカミの発言にしか思えんの。
で、
この制度は、以下に説明するように数量や確率といった数学的な思考を欠くだけでなく、基本的な論理にも疑問があります。
そして現実から遊離した、原理主義的な理念ばかりが目立ちます。ここではそういった視点を中心に、裁判員制度を見ていこうと思います。
『民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば』このチャーチルの有名な言葉は民主主義を盲信する者に対する警告と受けとることができます。 そして、民主主義は最終目的ではないということにも留意する必要があります。最終目的は最適な社会を実現することですから、民主主義はそのための手段に過ぎません。この自明のことをここであえて言うのは、裁判員制度はまるで民主主義そのものを最終目的としているかの印象を受けるからです。
裁判員制度は国民主権を司法に実現するという理念のもとに作られました。司法制度改革審議会の意見書には、裁判員制度の意義は国民が国民主権に基づく統治構造に参加するという理念の実現であって、被告人のためではないという意味のことが書かれています。 実際、被告人の利益に対する配慮は見られません。無作為で選ばれる6人の裁判員の判断能力のバラつき、時間短縮のために犠牲にされる精密な審理など、裁判の公平性に関わる問題点が明らかになりつつあります。
国民主権という民主主義の理念が実現したとしても、裁判の公平性などの機能が損なわれてはまさに本末転倒です。裁判員制度はまさに机上の空論から生まれたもので、以下にその様々な問題点を述べます。
民主主義への盲信と数学的思考の欠如
殺人事件に無罪から懲役14年まで―バラバラの判決が想定通りとは?
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント